SLEという病気になっていなかったら、今の「全て」はなかったと思います。
感謝しているわけではないけれど、私の人生の転機だとは、今も思っています

自分に起こった全てを「受容」する。
    難しいことかもしれないですけど、どうせ「同じ時間」を
    過ごさなくちゃいけないなら、少しでも実りある時間にできればいいね・・・
    きっとその方が「楽」なんだろうし・・・

だけど、人間だから、やっぱり辛い時もあります・・・
そういう時は泣けばいいと思う。
自分を励ますものや場所・・・大切な居場所を作って
たまにはそこに逃避してもいいし・・・

心を休ませてあげる場所があるって、心強いものですから。

リフレッシュしたら、また明日からがんばればいいし♪

子供を生んだことで、自分のやりたいことが形として見えてきました。
「自分の言葉を残していく」「伝えていく」私の場合は、文字として。
まずは、娘に伝え、残す手段として、私は「文字」をつむぐことを思い出しました。
子供の頃、好きだったのに、忘れてたんだよね・・・
同時期、タイミングよく、いろんな人との出会いの中で、「夢」を現実へと変えていく、
そんなチャンスが私を後押しもしてくれました。

               Dreams come true!!
            思い続ければ、きっと夢は叶います。
        人との出会いも、一瞬のタイミングかもしれません。
        その一瞬を信じて、大切にしていけたらいいですね・・・ 

ライターという仕事との出会い

SLEでの妊娠・出産では、少なくないことですが、例外なく私にも同じことが
起こってしまいました。
胎内で、子供が育ちにくくなる・・・つまり、そこでの「妊娠終了」を意味します。
胎児は28週まで胎内で育てば、母体の外へ出しても問題なく経過する可能性が
高いそうです。(現在においては調べてません)
私の子は、この時点で25週でした。先生は「お子さんの生命力に賭けましょうね」
と言い、帝王切開に踏み切りました。

生まれた子はなんと片手に乗りそうな小さな子でした。
だけど、嬉しかった〜!だって、「生きてる」んだもん! 

でも、こんな小さいと、子供は目いっぱい苦労してました。
ここで、一つ一つ書くのはやめておきますが・・・
私も、「母になる」ために、いろんなものや、観念を捨てました。これは、すごく
苦しい選択でもありました。
けど、「この子の母であること」という実感は、娘と過ごす毎日の中から、少しずつ
しっかりと育んでこれた気がしています。

このことは、後に、自分の大きな自信となり、今の私を支えています。

そうそう、出産を機にもう一つ予期せぬ「おまけ」がついたかもしれません・・・
それ以後の私、SLEを計る数字的な値、そのほとんどが陰性のままなんです。
つまり、どこにも異常がないという、いい状態を保ったまま、7年が経過しました。
出産は「体質を変える」ということも聞きますから、あながち嘘じゃないと信じたい・・・

つれづれなるままに・・・

<Part.3>

意に反して、治療は始まってしまいます。(こういう場合って、有無を言わさない
ものがあるのね・・・人間、「生きる」ことがまず最優先だから・・・)
だけどここで、不思議なことが起こりました。私の中では「奇跡」に近い!

例の薬を(点滴)を始めてから、不順だった生理周期が異常に「正確」になり?
なんと!!!私は妊娠してしまったのです!
だけど、この時点で、ずいぶん病態が落ち着いてはいたものの、妊娠継続や
出産に耐えうる確証はまったくなく、DrはGo!を出したがりませんでした。
当然と言えば当然です。
でもねぇ・・・これが最後のチャンスかもしれない、事実、今自分の中には、すでに
命が宿っているって、これはもう、「母性」より他に言いようがないのですが、
不思議と、何が起こっても平気だと、いや、きっと自分は大丈夫!なんて、
確信じみたものが生まれていました。
どういうんでしょうね?「嬉しかった」んです。ただそれだけかも。
私は、こうして、決心しました。「絶対に自分の子とあうんだ!」と。

<Part.2>

病気が原因かどうかよくわからないけど、昔から「生理不順」だった私。
結婚後、そのせいもあってか、3年間子供に恵まれませんでした。
当時は、病院へ通うなど考えもしなかったです。

SLEの方は、一進一退を繰り返していましたが、あるとき、急激に悪化。
「稀」に起こる症状によって、一時「重篤な」状態へ・・・
同時期に、腎臓に大きな痛手を負ってしまい、その治療のため、
免疫抑制剤(要は抗がん剤ですね)を使うことになりました。
その薬の処方による効果と共に、その「副作用」に、涙・・・
卵巣機能の機能低下」その一言で、頭が真っ白になりました。
夫へのすまない気持ちですね・・・

<Part.1>

SELと、出産・・・これは「タイミング」の良し悪しもあるかもしれません。
私の場合、絶対「良い」とはいえない「最悪」を想定せざるを得ない状況下だったと
思っています。それでも「生もう」って、もしかしたら、とても無責任だったと
言われれば、否定はしません。

出産・娘との出会い

それまでとくになりたいものなんてなかったのですが、入院したことをきっかけに
「やりたいこと」を見つけました。専門学校へいき、いろんな人と出会いました。
私の現在の旦那様との出会いは、この後の私の全ての未来を大きく変えました。

進路・夫との出会い

高校3年生になる春休みごろでした。
すごくだらけた生活を送っていた私だったのですが、どうやら面倒な病気になり、
入院したりしたことで、それまで「見ようとしていなかったこと」がいっぺんに
目の前に見えてきたように思います。

病態そのものは、前述の通りの経過をたどり、発熱、関節痛などから始まって、
いくつかの検査の後、病名の特定にいたったという、SLEにおけるごく一般的な
ものだったのだろうと思います。

発病

一言で言えば、私の転機かな・・・?

私にとっての「SLE」とは